?「ウイリアム?フォークナー『征服されざる人々』-ベイヤードの精神的成長の軌跡」『ほらいずん』第31号、早稲田大学英米文学研究会、1999年 2月 |
?「アーサー?ミラー『セールスマンの死』-‘self-reliance’のあくなき追求」『英語英文学叢誌』第29号、早稲田大学英語英文学会、2000年 1月 |
?「『響きと怒り』における別離のモチーフ」『英文学』第79号、早稲田大学英文学会 2000年 3月 |
?「『響きと怒り』-キャディを追い求めるクェンティン-」『早稲田大学大学院文学研究科紀要』 第46号?第2分冊、早稲田大学大学院、2001年 2月 |
?「『響きと怒り』-信頼できない語りのもたらす効果」『ふぉーちゅん』第14号、新生言語文化研究会、2002年 3月 |
?「フラナリー?オコナー「高く昇って一点へ-自己犠牲への収斂」New Perspective 第178号、新英米文学会、2003年 11月 |
?「フラナリー?オコナー Morality Playとしての「森の景色」」『英語英文学叢誌』第33号、早稲田大学英語英文学会、2004年1月 |
?「ミュリエル?スパーク「そよ風にゆれるカーテン」における比喩表現によって描かれる真実」『ふぉーちゅん』第15号、新生言語文化研究会、2004年 3月 |
?「フラナリー?オコナー「つくりものの黒ん坊」がもたらす表象の二重性」New Perspective 第179号、新英米文学会、2005年 6月 |
?「D. H. ロレンス「博労の娘」における愛と自由の相克」New Perspective 第181号、新英米文学会、2006年 7月 |
?「『響きと怒り』カモメの姿に託したクエンティンの思い」New Perspective 第184号、新英米文学会、2007年 2月 |
?「フラナリー?オコナー「火の中の輪」」New Perspective 第185号、新英米文学会、2007年 7月 |
?「フラナリー?オコナー「啓示」― 幻影を見たターピン夫人が理解したこと」New Perspective 第189号、新英米文学会、2009年 7月 |
?「キャサリン?アン?ポーター「マリア?コンセプシオン」― 主人公の曖昧な立場をめぐって」Fortuna第21号、欧米言語文化学会、2010年 3月 |
?「キャサリン?アン?ポーター「昼酒」における主人公トンプソンの悲劇が示唆するもの」Fortuna第23号、欧米言語文化学会、2012年 7月 |
?「キャサリン?アン?ポーター「花咲くユダの木」―なぜ主人公ローラは再び眠ることを恐れるのか」Fortuna 第26号、欧米言語文化学会、2015年 3月 |
?「Katherine Anne Porter, “Theft”における盗みを引き起こすもの」Fortuna 第27号、欧米言語文化学会、2016年 3月 |
?“The Sound and the Fury: Emergent themes in Faulkner’s depiction of Dilsey.” Fortuna 第32号、欧米言語文化学会、2021年 6月 |
?『ナイフの発音の仕方』における主人公のラオス人としての思い」 “An Analysis of a Protagonist’s Desire as a Laotian in How to Pronounce Knife” 東京未来大学研究紀要 第17号、2023年 3月 |
?「「乾燥の九月」における無実の黒人がリンチにかけられる歴史的背景」“The background in which an innocent black man is lynched in Faulkner’s “Dry September” ”『東北公益文科大学研究論集』第47号、2024年3月 |